卒業のシーズンに思う…
娘の卒業式に参列しました🎓
中高一貫校に高校から入学したのですが、たった3年間とはいえいろいろなことがあった年月でした。
無事にこの日を迎えられて感慨もひとしおです✨
お世話になった方々に、改めて感謝申し上げたいです✨
学校行事に参加すると、子供達の様子以上に自分以外の保護者の皆さんの様子も目の当たりにすることになります。
いつも感じるのは、子供が幼稚園の時も、小学校の時も、中学も高校も…
親が子供を見つめる様子は、はたから見ると変わらないな…ということ。
今日も「次は、◯組です」という声の少し前から、我が子をカメラに収めようとする保護者の動きが😘
親が、なんであれ子供に必死になる姿ははたから見たら冷めた見方ができるものです。
「親バカ」なんて言葉もあるくらい、そこには「愛着」「執着」という、ヨーガで言えば手放すべきものがあるもの。
でも
子供はいくつになっても子供ですし、
親はいつまでたっても親です。
人が本当の意味で親離れ、子離れ出来るときって
本当に訪れるのでしょうか。
親が子供の成長や状況を心配しなくなることはないし
子供が親に理解と寛容を求める気持ちが消えることはないと思います。
そこにある執着や依存が、可能な限り薄まって、
親も子も、息苦しさなく、無理なくいられるときが来たら、
それがお互いの自立なのかな…。
理屈ではわかるけれど
簡単に、自立という言葉は使いたくないな、とも思います。
はじめに自立を求めるのって、なんか頭でっかちで不自然な感じがして。
気がついたらお互い、程よい距離になってた…というような間柄になれたら理想だなと思います。
いま、NHKでも民放でも、親子関係をテーマにした連続ドラマをやっていて、どちらも録画して楽しみに見てますが、
どの「子供」の気持ちも、
どの「親」の気持ちも痛いほどわかっちゃうんですよね。
(中学受験を扱ったのなんか、毎回必ず泣いちゃいます💦)
春から大学生になる娘。
実際の関わり方は変わっていくだろうけれど、
あなたがお腹に宿った時から
「私が先に死んだ時、既に自分でしっかり立っていける人になっていて欲しい」
「親がいなくなったときに、周りの人から愛され、喜んで助けてあげたいと思われるような人物になっていて欲しい」
どこの親もそうであるように、私もまた、そう祈りつつ育てて来ました。
今日の第一歩が、娘はもちろん、全ての卒業生にとって素晴らしい門出になることを祈っています。
ヨーガインストラクター 河井美代
by burdsall
| 2017-02-28 15:29
| 日々のあれこれ
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