ヨーガに生きる、ヨーガを生きる

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インドの聖人に関するお話を聞くたびに、
あるいは、ヨーガの教えについて読むたびに、
「自分には絶対無理な世界だ」という考えがまずもたげる。
その果てしなさ、深淵さに、すくんでしまうのだ。


質素な生活をして、
必要最低限の言葉しか発せず
哀れみと思いやりを奉仕活動から学びとり
いまある立場においてベストを尽くすが、結果にはこだわらない。

そんな聖人の生き方を、煩悩の塊のこの私が、実行できるわけがない!と、
最初から決めてかかってしまう。
これは私に限らず、多くの人がそうなのではないだろうか。

ヨーガを人に教える立場の人間であっても、
ヨーガの深遠さにどれほど達しているかはそれぞれであるし
その達成度をいったい誰が判断できるのか。
本人以外に、それは無理だ。
本人といっても、無意識レベルでの理解になるのだとも思う。


けれど一方で


生きる、ということは、それだけでもう既にヨーガであるし、

ヨーガ的な生き方をしなければ、自分の命を傷つけ、寿命を早め、
生のクオリティそのものを自ら損傷していくことになるということにも気づき始めた。


過食気味だし砂糖中毒だし
いらんことばっかり言って後悔の連続だし。

それでも、生の尽きる日まで、私は生き続けなくてはならない。
生きることは選択の余地のない、義務なのだから。

ヨーガ的に生きるかどうかにも、選択の余地はない。
いつの頃からか、目の前にヨーガの道があった。
この足が、その道のおかげで前進続けて来た。
獣道をかき分けてきたつもりでいても、実際はそんなことはないのだ。
先人たちの知恵、導き、温かい見守りがあって、皆、今ここに存在しているのだ。
さんざん恩恵を受けておいて、今更、「そんな道知らない」なんてとぼけることは許されない。

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大いなる恵みと聖なる存在に包まれて、人は生を全うする旅を続ける。
私のような煩悩の権化も、聖者と同じくこの限りある肉体を与えられてこの世に生かされている。


幾千年とそうであったようにこれからも、
ヨーガを学ぶすべての人間に、大いなる恵みがまっすぐに注ぎ込まれますように。
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by burdsall | 2013-02-20 22:57 | Comments(0)