初めての客観視

「父の日が近いので、「お父さん」というタイトルで作文を書きましょう」

シングル家庭が珍しくなくなった最近では、このようなデリカシーの無い😂 授業もほとんど聞かなくなりましたね。地域によってはまだあるのかな。

でも私が小学生だった昭和50年代(えっ💦もう40年も経ってますね?!)には、こういうのは全然珍しいことではなかったですし、「父親参観」なんていうのもありました。

私の両親は私が4歳の時に離婚しており、その後一度も再会することのないまま、父は亡くなっています。

その作文を書く授業があったのは、小学校4年か5年生。
だいたい10歳くらいって、いわゆる自我が目覚めて来る頃ですね。

今でもはっきり覚えているのが、一瞬の迷いもなく

「私にとって父親の役割をしているのはお母さんだから、お母さんのことを書けという意味だよね」

と判断して、サクサク仕上げたことです。

この時の、

一瞬の迷いもなく、そこに感情を入れず、
今ここに与えられた問題の解答を探し始める

という体験は、私にとって「初めての客観視」だったように思います。


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同じ問題に際しても、立場が変わると難しいこともあります。

二人の子供の母である今(もう二人とも大きいですから今後こういう場面はないでしょうが)、もし、子供の学校でこのような授業があったら、モンペと言われようが周りから疎まれようが、先生にお考えを伺うお手紙は書いたと思います。返事に納得できなければ校長その他の方にも相談したと思います。

(平成を生きる我が子たちがこのような不条理な場面に遭遇することなく居られることは本当にありがたい、当たり前では無い幸せにあると感謝しています)

もし自分の子供が、適切とは思えない作業を「教育」の名の下に押し付けられていたらと想像するととても辛いし、我が子でなくても、クラスメートがこのような立場に置かれていたら、先生に対して物言いぐらいはする生徒でした(中学時代は非常に生意気で扱いにくい生徒だったと自覚しています。その反動で今はとっても愛想のいいおばちゃんになってます)。


立場が変わることで対応が変わる

ということは、私の客観視力は「真」では無いということ。

真に客観視力があれば、どんな立場にあっても、同様に淡々と粛々と、心乱さず対応する強さが育つはずなのです。


これから先の人生の中でも、客観視力を試されることが日々起きて来るはずです。

「ヨーガの学びは自分を観ること」

その練習のために、アーサナがあり呼吸法があります。瞑想がその学びを深めてくれます。


皆さまの「初めての客観視」の思い出はどんな記憶でしょうか。
何かの折にシェアしていただけたら嬉しいです😃



週末天気が荒れ模様、台風の影響も懸念されます。お気をつけてお過ごしくださいますように。





日本ヨーガ療法学会認定 ヨーガ療法士 河井美代







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by burdsall | 2018-09-29 11:57 | ヨーガ・セラピー | Comments(0)